震災被災地南三陸をお伺い致しました
6月21日から22日に掛けて、震災被災地である南三陸をお伺いさせて頂きました。来る7月21日開催させて頂く国際交流事業の件で、校舎が津波にのまれてしまった南三陸町立戸倉小学校、南三陸町教育委員会、宮城県志津川自然の家にご協力のお願い方ご挨拶を申し上げて参りました。
現地は、残念ながら復興というにはほど遠い状況にありました。2年経った今でも復興住宅は1棟も建っておりません。未だ多くの方々が仮設住宅での生活を余儀なくされております。
今般お世話になります戸倉小学校のお子様たちは、震災当時学校前にある高台の神社祠に避難して、長い時間立ったままの状態であったそうです。
目の前で津波にのまれていく母校の校舎、近くの民家、また逃げ惑う人々。どれだけ怖かったでしょうか。現在校舎は取り壊され、廃材と流木等産廃物の置き場となっておりました。
町は、やっと建物等の残置物が取り除かれ荒れ果てた更地なっておりました。残っている3階建の建物も屋上まで津波が来たそうです。
当日屋上で救助を待っていたお年寄りが100人程度いらっしゃって一晩救助のヘリコプタ-を待っていたそうです。腰近くまで濡れた体でさぞかし寒かったことと思います。現地の方のお話では、打ち寄せてくる波も怖かったが、海の底が見えるほど引いていく波も本当に怖く不気味だったとのことでした。
最後まで非難を促し続けた南三陸防災センタ-も、鉄骨がむき出しのままたたずんでおりました。献花して手を合わせる方々が多くいらっしゃいました。私も合掌させて頂き、思わず涙が出てしまいました。取り壊しか、象徴として残すべきか議論が尽きないようです。
産廃処理施設付近は、海の匂いと腐った匂いが漂い耐え難いものでした。
また、子供たちが仮校舎として通っている志津川小学校も校庭は仮設住宅、また通学路には農耕具、バイク、三輪車等廃材が野ざらしにされており、日々震災を忘れられない状況にあります。
私は、先日いわき市から相馬市とお伺いさせて頂きました時も、今般も、何も出来ない者がむやみに被災地に足を踏み込んではいけないのではないかと自問自答を致しておりました。しかしながら、語り部の方が「観光客でもいい。たくさん方々が来て頂くことで町が賑わい、活気が出ることで地元の方々に元気が戻ってくる。また疎開している地元の方々が返ってくる気になる。」とおっしゃったとき気持ちが軽くなりました。その分一つでも多く買い物をしようと思いました。
一方、校長先生からご指導を頂きました「子供たちは、少しずつ立ち直りつつある。しかしながら、心もとない一言でたちまち当時に引き戻され心を痛めてしまう恐れがある。」とのお話に心を痛めました。そして、改めて言動には十二分に注意を払うべきと気付かされました。お恥ずかしい次第でございます。
ご忠告頂き本当に有難うございました。交流会当日は、スタッフ一同注意申し上げます。
皆さんも一度南三陸を訪れ、語り部さんのお話を聞いてみて下さい。そして一日も早く復興が進みますよう願いましょう。
ちなみに南三陸ベイサイドアリ-ナの一部はオ-ストラリア政府から資金提供を頂いたようで、完成時オ-ストラリアから大使もお見えになったそうです。その後も、オ-ストラリアに留学生を受け入れて頂いているようです。私共も、震災当時より、各国に被災地より無償にて留学生受け入れをお願いして参りました。実際フィジ-他数か国がお取り組み頂きました。この場をお借り致しまして、ご支援頂きました各国の皆様に感謝申し上げます。誠に有難うございました。
特定非営利活動法人 留学協会
理事長 津吹 一晴